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M1GP 2017王者、とろサーモンが黄金列伝に出演、内容まとめ

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こんにちは、せいです。

今回は黄金列伝からとろサーモンの情報をお届けします。

随分以前から関西では漫才番組にちょこちょこと出演し、それなりの笑いを取りながらもなかなかブレイクできなかったとろサーモン。

その独特の世界観への評価が分かれている感がありましたが、ついに2017年、M-1チャンピオンを獲得し、見事ブレイクを果たしたのでした。

今回の黄金列伝ではそんな彼らのM1優勝までの軌跡が語られました。

親しい芸人仲間としては、先輩芸人で久保田と親交の深い中川家、そして村田と親交の深い麒麟、両方と親交のある千鳥が出演し、それぞれの当時の様子を語ってくれました。

高校の同級生からコンビ結成まで

2人は宮崎県の高校で同級生として出逢い、一緒に漫才をやろうとNSC入学のために大阪に出てきました。

しかし、NSCの入学試験に久保田がまさかの不合格、結果村田だけが入学し、久保田は一年間浪人生活を送ることになります。

村田は当初、半年ごとに分割して支払う授業料分が終わったら一旦辞め、改めて久保田と一緒にNSCに入りなおすと言っていましたが、入学後の評価が高く最上級のAクラスに選ばれると前言を翻しNSCを継続、同期の一人とコンビを組んで活動するようになりました(気持ちはわかりますね(笑))

久保田は浪人の間アルバイト生活を続けながら、一年後無事にNSCに入学しましたが、その頃村田は4人組ユニットを組んでインディーズのステージで活躍していたのです。

久保田も負けじと同期とコンビを組み活動をしていましたが、その後お互いに解散を経験し、2002年ついに二人はコンビを組むことになりました。

紆余曲折を経てコンビを組んだ二人でしたが、きっかけとなったのは久保田が村田に送った手紙だったのです。

そこには「俺とコンビを組まないか?俺と夢を見ないか?」と熱い想いが綴られていました。(ゲスキャラ久保田からは意外な内容ですよね!)

コンビ結成当時の力関係は完全に村田が上で、久保田が書いたネタを村田がダメ出ししていたと言います。

久保田が一番屈辱的だったと語ったのは、ネタを持って行ったら村田に「こんなんあかんで」とカールを食べながら一蹴された上、手に付いた塩をネタの書かれた紙で拭かれたことだそうです(これはひどい笑)

漫才の実力は折り紙付き、早くから評価されるも・・・・

出だしでつまずいたもののついにコンビを結成したとろサーモン、二人は早くからその実力の片鱗を見せ始めます。

知名度が全くない駆け出しの当時、公開ネタ番組の収録で客が誰も知らない中爆笑をかっさらい、しかも司会を務めていたほんこんから大絶賛を受けた結果、芸人の間ではスーパースターの誕生とまで言われるほど一気に話題になりました。

そのままほんこんが出演していた「中川家ん!」という番組のレギュラーを獲得、順風満帆な芸人生活に思われましたが、二人の幸せグラフは下降線をたどることになります。

その理由として村田は「ほんこんさんとロケをするコーナーをやらしてもらったが、丸一日ロケを共にする間ずっと怒られていた」と語りました。

一方の久保田はさらにひどい扱いで、テレビでは言えないほどの罵詈雑言を浴びせられていたそうです(笑)

しかし、そうやって二人はテレビの世界でのいろはをほんこんから学んでいったのでした。

ただ、その後も二人になかなかブレイクの時は訪れませんでした。

また、二人のコンビ仲は非常に悪く、結成二年で解散危機を迎える状態に

当時は村田と久保田の力関係が逆転しており、舞台に出る直前で久保田が突然ネタを変えると言い出し、本番でそれに対応できない村田を叱責するなどしていたそうです。

中川家の二人は当時を振り返って「久保田のやり方はひどかった。あんな直前に言われて対応できるわけがない。

時々村田が泣いている姿も見た。それでも村田は一切久保田の悪口を言わず、夫の才能を信じてついていくまるで奥さんのような状態だった」と語りました。

久保田は「一度村田のアドリブでやったら非常に受けて、それがとても気持ち良く、もっと欲しくなってしまった」と当時の狙いを告白します。

村田も「今思えばあの時期のアドリブで自分は鍛えられた」と振り返りました。

状況を打破するために東京進出。待っていたのは絶望の日々

月収50万円と、若手としては安定した暮らしをしていたとろサーモンでしたが、いよいよレギュラーもなくなり先行きの不安を抱えます。

それを打破するために東京進出を決意、2010年に上京して活動の場を関西から移しました。

しかし、ここからグラフはマイナス100%にまで落ち込みます。

東京で待っていたのは絶望の日々だったのです

関西では賞レースを3回制し、安定して月収50万円を稼ぐことができるまでに成長していたとろサーモンでしたが、その実績は東京ではまったく通用せず劇場での出番もない状態で、新人以来のバイト生活に突入します。

2人の関係は究極に悪化していたものの、単独ライブだけは継続していました。

しかし当然人気はなく、客席20人の六本木のメイドカフェでライブを開催しても、8人しか入らなかったこともあったとのことです。

麒麟の二人は当時の村田について「すぐに自虐モードに入ってしまうぐらい常にネガティブモードだった。仕事も増えないしどうしていいかわからないと頭を抱えていた」と語りました。

久保田に関しては千鳥の二人が「久保田と飲みに行ったらいつも愚痴や悪口の状況だった」と話しました。

そんな二人でしたが、状況は少しずつ改善し始めます。

村田は声に定評があり、少しずつナレーションの仕事が入ってくるようになりました。

さらに彼は自分を高めるため、ナレーションの学校にも通い、食い扶持を確保していきます。(この行動力ってかなりすごいですよね。)

そして、後輩の又吉が出した小説、火花の映画化の際、なんと主人公の先輩芸人役に抜擢されたのです。

役柄が当時の村田の状況とリンクし、セリフに重みがあると話題になりました。

一方の久保田も、とある作家に気に入られ、ゲスキャラが受けるようになって徐々に一人だけの仕事が入るようになりました。

関係は最悪。でも解散しなかったのは漫才があったから

元々不仲の状況で、東京に進出後さらに関係は悪化、仕事もなく芸人としてまったく先が見えない状況だったとろサーモン、そんな二人がなぜ解散しなかったのか。

村田は定期的に解散のことが頭をよぎっていたと言います。

しかし、単独ライブで漫才をすると受ける、漫才をやっているときは楽しかった、だから解散を思いとどまったとのことでした。

久保田は解散を考える前に、高校時代から交際をはじめ、デビュー前に結婚した奥様と東京進出後に離婚を経験した結果、何も怖くなくなったと語りました(笑)

そしてついにM1チャンピオンに!

仕事はバラバラ、それぞれがもがき続けたとろサーモンの二人でしたが、それでも漫才だけはやめませんでした。

そして迎えたM1最終イヤー。

彼らには期するものがあったようで、中川家が予選前からとろサーモンの異変を感じていたと言います。

これまではアドリブでやっていた漫才だったが、学園祭時にきっちりと作り込んだ新ネタを試すなど、かなりM1を意識しているのが分かったと言います。

そんな中で迎えたM1決勝、見事「石焼きいも」のネタで優勝を達成したのでした。

最後に村田が久保田に向けて、「感謝しろ、感謝しろ、といつも言うが、本当は感謝してるよ」と伝えたところでグッときましたね。

久保田はボケらしく、茶化していましたが(笑)

M1優勝でブレイクを果たした実力派漫才師とろサーモン、連日テレビで見るようになりましたが、彼らはこれからが実力を問われる正念場と語りました。

今後どんな活躍を見せてくれるのか、応援していきたいと思いますが、彼らのコンビ仲は改善されたのでしょうか?

番組冒頭、司会の三人がまだ現場に入っておらず、とろサーモンが二人で待機しているシーンが映し出されましたが、二人はまったく口を利く気配がありませんでした。

司会の三人は「やっぱり仲が悪そう」と言っていましたが、番組で言うぐらいですから今は改善されているのかもしれませんね。

好きな芸人さんなので、解散せずに末永く活躍してもらえたらなと思います。


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